8月15日終戦の日を迎え、自分なりにもいろいろと考えました。

今年は2月に広島で原爆資料館を見学したり、ご縁で被爆者の方から原爆手帳を見せていただき、1対1で直接お話を聞く機会もあったため、今まで以上にいろいろと想いを巡らせました。

10年前、20代のときにも広島の知人に案内されて資料館を見学したことはあったのですが、改めて心が苦しくなりました。しかし、実際に起きた出来こととして目を背けてはいけないことだと思います。

被爆者の方からのお話は、長崎へ修学旅行に行った際にも聴いたことがあります。しかし、大人になって被爆された方の実体験やその後の人生を聞くと更に心に響くものがありました。最初は思い出すことも苦痛だったようで、とんでもないお願いをしてしまったと思いましたが、その方は自分が投下時に何をしていたのか、目で見た風景、感じた臭い、自分の体に起きた症状を必死に語ってくだいました。直後に亡くなられた方のことだけなく、数日後に居合わせた子供たちの死にゆく様子まで涙を流しながらお話してくださいました。被爆者手帳が交付されるまでにも月日がかかったのだなと初めて知りました。もう90歳を超えており、ご自分から外出する機会も減っているため、この想いを共有できる時間も人も限られるでしょう。現に被爆者の集まりや会もどんどんなくなっているそうです。

これまで、この時期に戦争に関する話題に触れると「もう戦争を繰り返さないために」という意味合いで受け止めていました。しかし、日本の若い世代も国の争いや暴力を繰り返そうなんて考えることはゼロにちかいくらい少ないのではないのかなと感じます。

自分の中では、過酷な状況の中で自らをも犠牲にして日本の未来のためにと生きた方たちのことを知ることが大切なのではないかなと『8月15日』の受け止め方が変化しました。戦争について語れる方が減ったとしても、戦争に翻弄された先人たちのことを決して忘れてはいけないのだと心に刻んでおります。

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