アダム・スミスの『国富論』。経済学を勉強し始めると、必ず出会う一冊です。

それをおもしろく、わかりやすく訳した木村大次郎氏の「超訳『国富論』」KADOKAWAを読んでみました。結構、新しく知ったこともあり、興味深かったです。実際に自分が英文で読むとなると、また解釈の仕方が変わってくるかもしれませんけど、読める自信すらない。。

その中で教育について触れられている部分がありましたので、触りだけご紹介いたします。興味を持たれた方は、ぜひ!

国富論序文『国の生産性を上げるためには、国民が仕事においてどれだけの技能や判断力を持っているか、優秀な国民の割合がどれだけ高いかにかかっている。各国の気候や風土よりも、国民性の方が重要だ。』

どれだけ国の置かれている条件(土壌や風土、周囲の国々など)に恵まれていたとしても、国民への教育が行き届いていなければ、国としての生産性は伸びないと書かれています。逆を返せば、厳しい条件に置かれていても国民の教育が豊かな国においては、別の視点から新たなビジネスチャンスが生まれるのかもしれません。

現代日本はいかがでしょうか?

第5章『富裕層は、子弟のために喜んで教育費を出す。しかし、庶民はなかなかそれができない。いかにして庶民に教育を施すかが、国を豊かにするための鍵』

はるか昔から、アダム・スミスは経済格差から生まれる教育格差についても説いていました。負の連鎖を断ち切り、国として底力を上げるため、数少ない貴重な子供たちの可能性を伸ばすためにも庶民への教育は課題だと思います。政府が変なバラマキやお金の使い方をしませんように・・・

『普通の庶民の子供には、どう転んでもラテン語の授業などは将来、役には立たない。ラテン語などではなく、様々な仕事に役立つ幾何学か機械学を教えるべきである。』

同感。「古典が必要!」と訴える方もいるかもしれませんが、大人になった私としては古文も漢文も知らなくても生活できます。困ることはほとんどありません。

教養として興味のある人が学べばいいのだと思います。

それよりももっと教育の中で知っておくべきことはたくさんあると思います。

医療者としては自分の健康を守る最低限のすべを知っておいてほしいですし、これから増えるであろう認知症者への対応も実際の生活にはより役立ちます。

社会人としては政治のことや税金を納める義務(確定申告)のことなど、生きていくうえで必要になることを優先的に学習できる機会が増えるといいのになと思います。

あくまでも、教育を通して情緒の豊かさやモラルが形成されたうえでの話です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です